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『国宝』感想:昭和を駆け抜けた二人の役者――その「絶景」の代償について

吉田修一氏の渾身作『国宝』。

任侠の家に生まれた喜久雄と、梨園の御曹司として生まれた俊介。

1964年の長崎から始まるこの壮大な物語は、単なる芸能界のサクセスストーリーではありません。

そこにあるのは、血の気、男気、暴力と愛、カネ、嫉妬、契約、芸、友情と憎しみ、そして高度なかけひき。

すべてが複雑に折り重なったこの物語を、あえて「生存戦略」と「投資対効果」という冷徹な視点も交えて解剖してみます。


目次

1. 芸という名の「悪魔」との取引か、それとも「生存戦略」か

本作は、芸を極めることと引き換えに、人間としての幸せ(魂)を悪魔に売り渡す「歌舞伎版ファウスト」とも言えます。しかし、見方を変えれば、これは過酷な環境下での究極の生存戦略でもありました。

  • 持たざる者・喜久雄の生存術:極道の息子という宿命(血)を背負った喜久雄にとって、芸は「選択肢」ではなく、社会で生き抜くための唯一の「武器」でした。
  • 持てる者・俊介の執念:名門の血筋を背負いながら、圧倒的な才能を前に絶望する俊介。彼が両足を失いながらも舞台を求めたのは、喜久雄という「ライバル」を鏡にしなければ、自身の存在意義を証明できなかったからです。

「その顔はいずれ自分を食い尽くす」

伝説の女形・小野川万菊が放ったこの言葉は、才能という呪縛がいかに残酷であるかを物語っています。


2. 伝統芸能という「市場」における「国宝」の価値

喜久雄たちが目指した「人間国宝」という頂。それを現代のエンタメ市場と比較し、その希少性とコストを可視化してみます。

市場環境の比較

指標伝統芸能(歌舞伎)市場現代エンタメ市場
市場規模約250億〜300億円規模数兆円規模(アニメ・ゲーム等)
参入障壁極めて高い(血縁・徒弟制度)比較的低い(実力・技術)
希少価値人間国宝(数名程度)世界的スター(多数)
リターンの本質歴史への刻名・名誉経済的利益・認知度

経済的なROI(投資対効果)を考えれば、私生活のすべてを犠牲にする「芸の道」は極めて非効率に見えるかもしれません。しかし、彼らが求めたのは「市場価値」ではなく、**「時代を超越した美の体現」**という、数値化不可能なリターンでした。


3. 「阿古屋」を演じきった先に見た景色

物語のクライマックス、喜久雄は「阿古屋」という難役を演じきり、役と一体化して雑踏へ消えます。

家族、平穏な幸せ、自分自身の魂。

すべてを削ぎ落とした先に彼が見た「きれいな景色」とは何だったのか。

それは、現実世界のしがらみから完全に解放された、純粋な「芸術」としての自分にたどり着いた瞬間だったのではないでしょうか。

万菊が晩年、何もなくなった空っぽの部屋で「ほっとする」と語ったシーン。

すべてを出し尽くした後の「空虚」こそが、狂気的なまでの努力を続けた者だけが許される「救い」なのかもしれません。


結びに:映画公開に寄せて

現在、映画も公開されていますが、この「血の匂い」と「魂の摩擦」をどう映像に落とし込んでいるのか、非常に興味が湧いています。

「国宝」とは単なる称号ではなく、何か一つのことに命を燃やし尽くした人間の「生き様そのもの」

昭和という濃密な時代、泥臭い人間関係の中でしか生まれ得なかった、美しくも恐ろしいこの物語を、ぜひ映画館のスクリーンでも体感したいと思います。

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